こんにちは。現在4ヶ月の娘を育てる
育休中のかーさんMikuです。
簡単なプロフィール
・1児を育てるアラサーママ
・趣味:おうち美容 簡単なゲーム
(マリオテニス パネルでポン!)
・好きなもの:スピッツ お笑い Netflix 旅行
凡人で安定志向のわたしが
子育てをきっかけに
在宅ワークで稼ぎたいと思った経緯や
なぜその手段がWebマーケティングなのか
そしてなぜ育休中なのかを
経歴を元にお話しできればと思います。
この記事もいつ泣き出すか
わからない娘のそばで
パソコンカタカタさせて書いてます!
幼少期
3姉妹の末っ子として北海道で生まれた私は
3人目、しかも全員女の子ということで
程よく適当に育てられました。
タンスの上によじ登るは
お友達のぷにぷにのほっぺたつねるはで
結構やんちゃだったみたいです。
共働き家庭だったので保育園に通いながら
楽しい毎日を過ごしていました。
小学校時代
性格は活発だけど少し抜けてて根は真面目。
ランドセル忘れて家を飛び出したり
時計を1時間見間違えて
朝6時台に学校に行こうとし
母親に全力で止められたり
少し(いや、だいぶ?)抜けてる小学生でした。
小学校低学年の頃、
父の暴力が原因で両親が離婚。
それからというもの
母は朝から晩まで働いていました。
営業マンだったので
サングラスかけて運転する母の車を
よく通学中に見かけては
同級生にカッコいいね!と言われて
嬉しかったのを覚えています。
3年生からバレーボールを始め
楽しくて楽しくて毎日夢中になって練習。
そんなにお金がなかったから
最初はバレーシューズも学校のおさがりで
ソックス(一足1000円以上で無駄に高い)も
穴が空いては縫い、違うところに穴が空いては
また縫って履いてました。
今でいうSDGs!エコ!
3人育てながらも私の練習の送り迎え、
試合の応援、授業参観、忙しいながらも
どれも来てくれて
それが凄く嬉しかったのを覚えています。
この頃から働くお母さん=格好いい
私もこうなりたい!と思うようになりました。
中学・高校時代
引き続きバレーボールは大好きで
続けていました。
勉強は嫌いじゃなかったので
成績も学年15番以内くらい。
ただ将来何をやりたいか、と聞かれたら
特に夢もなく。
毋からは「何があるかわからないんだから
ひとりでも生きていける様になりなさい」
とだけ言われていました。
母が離婚を決意し
私たちを育てることができたのは
自分で稼ぐ力があったから。
私もずっと働くんだろうなとは思いつつ
やりたいことがなかったので
進学を決めました。
大学時代
「やりたいことを見つけるために」という名目で
なんとなく地元の大学に進学。
就職の潰しが効くという理由で経済学部。
この頃、家から駅まで徒歩1時間
そっから電車と地下鉄で1時間
通学遠すぎー!と思い
親に「定期代と同額だけ援助して!
他はバイト代でなんとかするから!」と
一人暮らしを始めました。
若いってお金が無くてもなんとかなるんですね。笑
バイト→バレーサークル→飲み会→学校
こんな感じで毎日を送っていたから
夢や目標なんてできる訳もなく就活もほどほどに
無名の小さな地元の企業で働くことになります。
社会人時代-正社員編-
ここからは転職祭り!!!
1社目販売職
食品の卸の会社がやっている
パン屋に配属になり
POP作ったり接客したり
お店のHP運営したり
最初から割と色々任せてもらって
1年目は楽しく仕事をしていました。
雲行きが怪しくなったのは2年目
社長が第二の人生を歩むということで
会社売却。運営元変更。
自由な雰囲気からガチガチの企業体制へ。
本社から店長がやってきて
仕事内容がパートさんと同じになり
毎日レジ打ち、清掃、の繰り返し。
「これって今やる仕事じゃなくない?」と転職を決意しました。
2社目英会話スクール
2020年東京オリンピックまでに
英語を話せるようになるぞ!
みたいなノリだった気がします。
絶対家で勉強は続かないし、
それなら英語しか使えない環境に身を置けば
話せるようになるのでは?と
安易な考えでした。
アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア
ニュージーランド・サウスアメリカetc
色々な国の先生と働き
同僚も生徒さんもいい人ばかりで
凄く楽しく働いていました。
一方で、ある一定の年齢になると
辞めていく先輩たち。
女性が9割(講師除く)の職場なのに
全然女性に優しくなく
妊娠して体調を崩しがちな同僚に対して
通勤に時間がかかる校舎への異動を命じ
退職に追い込むなど
悲しい現場を見てきました。
約3年半勤めたところで
結婚を考え始めた時期だったこと、
平日休み、23時近くまでの勤務時間をネックに感じ
泣く泣く転職を決意。
3社目人材サービスの営業
選んだ理由は
給料と土日祝休みだからでした。
ひたすら求人獲得のために
テレアポテレアポテレアポ。
求職者が来たら面談面談面談の毎日。
目標を達成するために
夢中で働きました。
求職者と企業のマッチングの仕事を
していたのですが
「この人本当にちゃんと働くのか?」
という人を紹介しなければならないことも
多々ありました。
介護専門の人材サービスだったので
常に人手不足。
条件だけ良ければ
人柄見ないでとりあえず働いてもらう!
みたいなことが蔓延しており
不安に思いながらも紹介しては
数日働いて飛ぶ、
朝から施設に謝りに行く、
みたいなこともザラでした。
条件が厳しくても働く意欲がある人のために
頑張ろう!と奮起しても
条件が良い人を
放っておいて良い理由にはならず
上司に詰められ施設に紹介→条件良いから入社
→飛ぶ→謝るの繰り返し。
言い方悪いですが手持ちのカードの中で
使えそうなものを必死で売る。
人のためなのか数字のためなのか
わからなくなり
自分のやっていることは正しいのか?と
自問自答する毎日でした。
辛いけど辞められなかったのは
結婚を考えていたからです。
ゆくゆくは子どもが欲しかったので
育休を取るために1年は絶対働かなければ。
今辞めたらまた1年先延ばしになる、と
どこか強迫観念に囚われていたのかもしれません。
(当時は同一雇用主の元で最低1年働かないと
育休が取れない決まりでした)
毎朝「早く仕事終わらないかな」と
思いながら出社し
退勤後もすぐに
「明日も仕事だ‥」と落ち込む。
心休まるのは金曜の夜くらいで
土曜も日曜も
週明けの仕事を憂鬱に思う日々でした。
ある日起きようとしても体が起き上がらない
出社しようとすると動悸が激しくなり病院へ。
不義理ながらそのまま休職、
そして退職することになりました。
私は営業すると心壊すかもと気が付きました。
営業というよりも自分の心を偽って
何かを売ることに疲弊していました。
たくさんの人に迷惑をかけてしまった罪悪感と
働かなきゃという焦る気持ち
社会人としての自信を無くした私は
数ヶ月間家に引きこもることになります。
幸いなことに当時の彼(今の旦那さん)が
献身的にサポートしてくれたおかげで
徐々に前向きな気持ちになることができました。
社会人時代-派遣社員編-
とりあえず何か仕事しなきゃと思い
派遣で事務の仕事を始めました。
大学出てるのに派遣?と
最初は劣等感もありましたが
幸運なことに配属先や同僚、上司に恵まれ
やりがいを持って働くことができました。
営業職時代に感じていた
仕事や人間関係に対するストレスは
ほぼ0で、こうも違うものかと
身をもって感じました。
この職場では契約期間満了の
3年間働くのですが
その間、結婚し妊活を始めていました。
(派遣社員が同じ事業所の同じ部署で
就業できる期間は基本的に
派遣就業開始日から原則3年までなんです)
子どもって授かりたいタイミングで
できるものだと思っていたのですが
中々できず‥
不妊治療のクリニックに通いはじめます。
始業前に朝早くからクリニックへ行き
そのまま出勤する生活は
いつまで続くかわからない不安から
心身ともにキツいものがありました。
契約満了が近くなり
次どうしようか悩んでいた頃、
ありがたいことに同じ職場の別部署で
派遣で働かないかとお声がけいただきました。
妊活中の転職で何が辛いって
授かるタイミングが分からないから
もしかすると転職後すぐに
辞めなきゃいけないかもしれないということ。
育休を取るための1年縛りもあったので
派遣をやめるわけにもいきませんでした。
新しい部署で働いて子宮外妊娠を経て
1年ほど妊娠、育休に入ることになるのですが
振り返ってみると
ライフステージが変わるタイミングで
仕事での悩みが増えて大変だったなと。
もちろん自分にスキルや能力があれば
違ったのかもしれないですが‥。
妊活中は働きながらの通院
妊娠中はつわりで生きてるだけで精一杯
子育て中は保育園問題や
子どもの病気や怪我で急な欠勤など
時間と場所に縛られる働き方で
疲弊している人たちを
何人も見てきましたし
私もその中の一人でした。
社会人時代-副業・育休編-
どうして育休中にWebマーケティングを学ぼうと思ったのか。
実はコロナ禍で在宅ワークに切り替わってから
通勤時間と飲み会の時間が減ったこともあり
1年半ほど前からInstagramの投稿作成の
副業をはじめました。
よく見ていたYouTuberさんが公式LINEで
業務委託の募集をかけていて
時間も出来たしお金も欲しい!と
応募したのがきっかけです。
デザインの勉強なんてしたことなかったので
契約を継続してもらえるように独学で勉強し
最初はめっちゃ時間をかけて作ってました。
嫌いな営業をしなくていいのでノンストレス!
着実に増えていくフォロワー数や
バズったときの快感
何より1回でこんなにも多くの人に届くのかと
SNSに可能性を感じました。
また、産育休中も続けさせてもらう中で
時間と場所を選ばずに働ける環境と子育てって
相性抜群なのでは?と思い始めました。
そんな時にスキル0から
Webマーケティングの基礎力を
身につけられる講座があることを知りました。
その内容はWordPress/ライティング/
SEO/動画編集/各種SNS運用の基礎を
1年で学べるというものでした。
けど講座の価格が60万超え、、
子どもが産まれてこれからお金がかかる時期‥
子育てて勉強する時間取れないかも‥と
諦める理由をあげればキリがないですが
どうしてもチャレンジしてみたかったんです。
理由は将来的なお金への不安。
そして育休から復帰し
子どもとの時間が減ることへの悲しみ。
物価も上がり円安も進む。
今のままの稼ぎでは我が子に
最低限のことしか
してあげられないかもしれない。
数日悩んだあと、ダメもとで
旦那さんに相談したところ
1度も否定することなく
「やりたいならやってみたら?」と。
この後押しがあったから
踏み出すことができました。
そんなこんなでWebマーケティングを
学ぶことになったのですが
このブログでは
私が講座でGETした情報を実践し
SNS運用で本当に稼げるようになるのか
検証していきます!
なんとそのスクールを主催する
Webマーケティングのプロ
(株式会社キークエストの青木さん)が
講座の内容をブログに書いてOK!
とのことなので(太っ腹すぎる)
学んだ内容や実践してどうだったか、
子育て中どうやって時間を作ったのかなど
ここで発信していけたらと思います。
そして隙間時間を使って月5万円以上
稼げるようになるのが目標です!
60万円払ってリターン月5万円ってww
と思われる方もいますよね。
月5万×1年=60万円
10年だと600万円!
こう見ると月5万円ってバカにできないんです!
会社に所属せずに自分で稼ぐ上で
一番難しいことってなんだと思いますか?
月10万円稼ぐこと?
月100万円稼ぐこと?
いいえ。
実は最初の5万円が1番難しいんです。
私も最初聞いたとき驚きました。
最初の5万円稼ぐことができれば
あとはどんどん簡単に
なっていくとのことでした!
(青木先生はガチでやれば
1年後月30万以上も可能と仰っていました)
ダイエットも英語学習も3日坊主が当たり前
THE・平凡の私が1年間本気で
Webマーケティングを学んだらどうなるのか。
本当にできるのー?と思いながらでも
見てくれると嬉しいです!
最後に-大切なこと-
大前提のお話ですがこのブログは
育休中にWebマーケ勉強しよう!と
お勧めする内容ではありません。
子どもの個性も、子育てのしやすさも、
周りのサポート環境も
本当に家庭によって様々だと思いますし
子どもを産み育てるだけでも偉業で
すごいことだと本当に思っています。
でも「あと5万円あったら
子どものために貯金ができる」とか
「あと2万円あったら
好きな習い事をさせてあげられる」と思いつつ
給料が中々上がらなくて大変な思いを
されている方もいらっしゃると思います。
ましてや育休中は5-6割しか
手当が貰えないので辛いですよね‥。
ですがわたしは副業を通して
お金の余裕はもちろん
ストレスフリーな
自分に合う仕事を見つけられました。
平均年収が低い地方在住でも
子育て中で忙しくても
「収入を上げたい」
「時間と場所を選ばずに働きたい」という方に
こんなやり方あるよ!と
実体験を踏まえて
伝えていくことで
ライフスタイルが変わっても
自分で稼ぐ力をつけられるんだ。
と誰かの背中を押せたらと思っています!